今週末は市議会議員選挙。
駅前の演説、選挙カーを見かけるたび思うことがあります。
選挙に対する正直な気持ち
「誰に入れるべきか(=誰がまだマシか)」、「たった一票では何も変わらないんだろうな」など少しネガティブな気持ち。
選挙に行き投票することは選挙権を持つ国民の義務であり、たった一票だったとしても投票すらしない者には「日本の政治(家)は・・」などと意見を言う資格もないのかもしれない。
義務教育で政治について習い、今後も自ら現状について知る努力は必要だと思いますが、Yes/Noで簡潔に答えられない政治家を見ていると理想と現実の差を大きく感じさせられます。
「政治は難しくて分からない」、「政治家の言っていることはイマイチ信用できない」これが国で生きている国民のリアルな声。
現状に対する違和感
今後の日本を支えて行くであろう20代の若者が人生100年時代を見据え不安を抱えながら仕事、プライベートに悩みながら生活している。
科学の進歩で健康寿命が伸び仮に寿命が80歳だとしても残り60年、まだたった1/4しか生きていない。
そんな彼らは「あと60年も生きられる!」それとも「あと60年どうやって過ごそう・・」どちらを思い浮かべるのでしょう。
今後必ず訪れるであろう老後の資金問題について今から頭を悩ませている。
健康かつ将来有望な20代が現在ではなくまだ見ぬ将来に目を向け過ぎているような・・違和感を感じてしまいました。
時代に合わせて人間も変わらざるを得ないが、数十年前では札束をばら撒いていたような時代もあっただろうに。
個人的な要望
年齢を重ねるほど今まで出来ていた当たり前のことすら出来なくなるかもしれません。
徐々に一人で出来ないことが増えていき誰かの助けが必要になる。
それには十分な資金がないと助けを借りることができない。
家族や友人にもそれぞれの生活があり、高齢化社会で家族に頼っても老人が老人を介護するだけ。
「国民同士で助け合ってね」と空気のように国民の良心に訴えかけず必ず起こりうること、人間に出来ないことを認めそれに対して設備を用意したり投資をして欲しい。
今後の日本を支える、今を生きる世代が「なぜ将来にネガティブな感情を抱くのか」を理解すべきなのではないでしょうか。
お金を貰えたとしても地方移住は増えない、少子化も止まらない、そして老後の資金問題もきっと変わらないんじゃないかなぁ。(人生の豊かさに求めるものはお金だけではないという証明!)
さいごに
国民一人の一票で現状は変えられない、たった一人の意見はどこにも届かないかもしれません。
でも、声に出さなければ間違っていることを正しいと認めてしまうことに。
間違っていること(人)に対して「間違っている!」と言えるように出来ることから始めようと思います。
Yes/No質問に答えられない、的を得ていない発言をする代表者の言葉より、国民一人一人の意見の方がリアルでより重みがあるのだから。
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