- 部下(後輩)に一方的に話をし続ける上司(先輩)
- 話(グチ)聞いて欲しさに連絡してくる親
- 若者と関わりたがる高齢者
差別(年齢など)をする気は全くないのですが、以上の方々に共通している(であろう)ことは
- 話を聞いてくれる、否定してこない相手を選んでいる
- 一方(自分)だけ得すれば良いと無意識に思っている
- (おそらく)時間を持て余している
のように見えてしまうのです。
話を聞いてくれる人(褒めてくれる人)を探している人を見ると「暇って悪なのかも?」と思うことがあります。
偉そうに箇条書きで例を挙げている私も時間があるときはちょっとした物音が気になりモヤモヤしてしまうことがあります。
そんなときは「気のせいかもしれないし、自分の家の中の可能性もある」
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「自分にとって害のあることなのだろうか?」
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「自分ではどうにもならないことかもしれない」
「そんなことを考えてしまうほど今の私は時間を持て余しているのだ」
「体調が悪いせいかもしれない」
と口に出す前に気持ちを切り替えてみたりします。
自分でコントロールできる方が正しいわけではないですが、相手に上記のような行動をされたり、相手と損得勘定、意味のあるような・ないような関係を気づくのが少々無駄であると感じるからです。
会話ってそもそも相手ありきで成立するものですよね。
相手を人間として意識するなら相手の表情とか意見とか気にならないのかな・・
- 暇つぶしに付き合って欲しい
- 「すごい!」と賞賛されたい
他人からはそんな本質が透けて見えるものです。
それならいっそのこと
「この前嫌なことがあったから話を聞いてくれない?」
「今の説明分かりにくくなかった(話長くなかった)?」
などと言われた方が潔く感じます。
少し話が変わるのですが、日本でいう成功者(経営者とか資産家、億り人など)たちはなぜ成功したのか。
そういう方をYouTubeで見たときに「自分の好きなことや夢中になれることを続けていた結果」と話していたのが印象に残っています。
「夢中になれることがある」「なりたい姿がある」
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「どうすれば叶うか考える」
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「まずは行動あるのみ!」
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「自分に時間を使う=暇がない」
「周りに目がいかない」
というループになるのでしょうか。
毎日100%ポジティブ、スケジュールが分刻みで埋まっている、なんていうのも疲れてしまいそうですが、何かに没頭している人の方が人間として魅力的に見えます。
いくつになっても何かに没頭、たまに一人でぼーっとしたり、本当に大切な人たちと過ごし(良い意味で)忙しくしていたいものです。
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