否定してくる人との関わり方について考えてみた その2

思考
スポンサーリンク

そんな、人間関係において苦手意識のある私が最近思いついたのが、会話したくない人との会話に時間をかけるより、何に時間をかけるのが有意義で、「大事なのは何か?」ということ。

それが定まれば、それ以外に当てる時間・労力はほどほどに、必要のない情報は取り入れない、など、何かしら手段が見えてくる。

それでも避けられない人間関係は存在し、それに対する明確な対処法は模索中なのですが、逆算して考えてみると、一番大事なのは、相手の意見に合わせ、自分の精神をすり減らすよりも、「自分をいかに納得させられるか(後悔しないか)」、なのではないかと思う。

相手と意見が違っても、相手から否定されたとしても、そもそも相手からの賛同、選択肢全てに許可って必要だっけ?

意識を相手に向けるより、その分自分や大切なものに向ける方が有意義なはず。

現在と10年前の自分を比べたら、好みや思考に多少なりとも変化はあるもので、それと同じように苦手な相手の思考にも変化がある可能性もあるので、相手に伝えるまでどう反応するか、こちらの予想が100%当たるかは分からない。

もし、「私はこう思う、そうは思わない」と伝え、相手がただ否定するようであれば、「もうそういう人なのだ」、「気が合わないのだ」と改めて分かるし、その人に嫌われたところで死にはしない、他に味方がいれば十分。

誰かに否定されたとしても、どこかに同じ意見の人がいるかもしれない。

生きているうちに良い悪いの両方、関わる人の入れ替わり(新陳代謝)があるのは、常に同じ人とばかりで連むより、学びがある気もする。

人にされたら嫌なことは自分もしないとか、まず、相手を否定せず話(意見)を聞くとか。

さいごに、他人を否定ばかりする人に言いたい。

「他人ではなく、もっと自分に意識を向けて生きて欲しい」

自分自身の何か、目標とかに集中すれば、他人にいろいろ言う暇なんて無いのではないでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました