8/8は「世界猫の日」なのだそう。
猫繋がりというわけではないのですが、先日、ご縁あって可愛い子猫をお迎えすることになりました。
その準備などでドタバタしており久々の更新になります。
猫と暮らすのは初めてのため、事前に本を読んだり飼い主さん、獣医さんによるYouTubeを何度も見ておりました。
猫に関する動画を見ている中で少し気になった動画(コメント)がありました。
大元のチャンネルは保護猫と暮らす飼い主さんによるもので、動画内の子猫はおてんばながらも「可愛い!」と声に出てしまいそうなくらい愛くるしい見た目。
そんな可愛い子猫ちゃんの飼い主さんに対して「本当に保護猫なのか?」など、誹謗中傷のようなコメントもあるようで・・
ただ、「可愛い子猫ちゃんですね」だけではダメなのだろうか?
ご本人が大切に育てている、楽しそうに暮らしている、ただそんな日々を配信しているだけなのに。
そして、飼い主さん側が匿名の誰かのコメントに対処しなければいけないなんて。
匿名性のあるSNS上だからこそこういったことが多いのかもしれませんが、日常生活でも似たような場面があるように思えます。
例えば、人間同士で直接会話しているとき、相手のことを素直に褒められるだろうか。
「その服素敵ですね」、「今日のメイク良いね」
相手によっては「それも悪くないけど・・私だったらこうするのに」とか「なんでそれを選んじゃうの?」なんて一言付け足されることありませんか?
「その服素敵ですね」それだけでいいんじゃないだろうか。
なぜ、わざわざお互いにとって何の得もない一言まで口から出てしまうのだろう。
脳科学とか心理学的な面から説明ができるのだろうけど、そのような一言を言ってしまう感情的な人たちにそのメカニズムを言語化したところで通じないし、その行動が今後修正されるわけでもないのだろうな。
「イイね」ではなく、興味がない・嫌悪感を抱いたときはあえて何も言わない、反応しないという選択肢があっても良いのではないだろうか。
自分にとって「理解できない」、「良くない」と感じたとしても、相手はそれを「良い」と思っているのだからそれをそのまま受け止め特に何も言わなければいいと思うのですが。
今後世界が変わったとしても誹謗中傷をする側の人間が一定多数存在することを想定すると発信する側もそれを気にしないメンタルが必要なのかもしれません。
SNSの普及で生活が便利になった一方、匿名性、表現の自由を掲げ「何を言っても良い」的な空気には怖さも感じます。
誰かのネガティブな一言から「こんなの欲しかった!」のような便利グッズが生まれる可能性もあるため、それらが悪と一概には言えませんが、発言する(表現する)内容を選別、言い方を脳内で変換できる人の方が年齢関係なくより大人に見える。
マイナスの要素を感じても「へぇ〜」と心の中で呟き、外に漏らさない(あえて口に出さない、書き込まない)のも他者と関わる上で配慮すべきことではないでしょうか。
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