2ヶ月に1回の美容院。
それは、髪の毛をきれいに整えてもらうだけではなく、友達のいない私にとって、世間の(リアル)な情報を得る機会でもある。
最近の美容師さんとの話題は韓国コスメ。
その方ご自身、その方の周りで流行っているコスメを教えてもらう。
その会話の中で「何の効果があるんですか?」など、購入のきっかけについて聞いたら「分かんない!」とのこと。
同僚との雑談の中でその商品の話題になり「なんか良いらしい」が購入の決め手になったようだ。
よほど同僚を信頼している、話に信憑性があるのかもしれないけど、「なんか良いらしい」、「◯◯さんが良いと言っていたから」が決め手になることも現実にはたくさんある。
実際、SNSに取り上げられた化粧品の中には在庫切れが続いているものもある。(皮膚科医、メイクアップアーティストさんなどの影響は大きいですね!)
タイトルに挙げた「なんとなく」とか、「なんか良いらしい」を基準にする雰囲気をより一層感じるようになったのは我が家が不動産購入を検討し始めてから。
コロナウイルスの影響で社会情勢は変化し、テレワークが増え都心からの転出者が増えたそう。
でも気がつくと、東京都の土地価格は上がり続け、それを追いかけるように関東郊外の価格も上昇。
不動産の営業さんに聞いた話によると、東京都(23区)は高くて住めない→都心に通える関東圏を探す→なんかこの地域良いらしい!、と人が流れているのだそう。
流れとしては理解できるのだけど、何千万円の家を人から聞いた話を材料に「なんとなく」で選べるなんて・・(゚ω゚)
ある意味スゴイ!
「なんとなく」が理由でもそれが束になれば価格が動き、社会もそれで回るんだなぁ。
何かを選択するときのきっかけは人の受け売り、「なんとなく」でも良いのかもしれないけど、本来大事なのは、「判断基準自体、人によって違う」ということではないだろうか。
- 世間の平均はこのくらい=自分ならこのくらいは出せる(住宅ローンの場合)
- 世間で流行っている(良いらしい)=自分(たち)にとって良い
とは限らない。
きっかけは他人と同じだったとしても、感じ方やその後の結果は人によって違うと思う。
例えば、化粧品の場合、購入のきっかけはどうであれ実際に使用してみて肌に合えばOK、肌荒れしてしまったら一旦使用中止。
でも、思ったような結果を得られないのに、「◯◯さんが良いと言っていたから良いはず!」と使い続けすのは盲信的で肌にとってはさらなる悪化を招く危険がある。
自分自身で情報を集め、一つ一つ検証(化粧品ならば実際に顔で試す、土地ならば実際に足を運んでみるなど)するには時間もお金もかかるし、人から得た情報のみで選択するのは自分の頭で思考する(情報を選別する)手間を省けて楽なのかもしれないけど、最終的な見極め、判断は「なんとなく」ではない方が後悔が少ないのではないかな。
選択した理由を聞かれて「なんとなく」、「なんか良いって聞いたから」と答えるより、「(自分にとって)良いと思ったから!」と答える人の方がちゃんとした大人なのではないかと思う。
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