※今回の当たり前とは、法律に則った、道徳的に正しいという意味です。
現在住んでいる地域では年齢・性別問わず車の運転が荒い方に遭遇することがあります。
駅前の横断歩道で信号が変わるのを待っていたある日のこと。
私の前には小学生くらいの女の子とその母親が並んでいました。
青信号に変わりその女の子が横断歩道を渡ろうとしたら・・
一台の車が大通りから無理矢理右折、目の前の横断歩道を横切っていったのです。
一瞬の出来事に驚きつつ、親子の会話が聞こえてきました。
母「ちゃんと見ないと危ないでしょ!」
娘「だって青だったのに・・」
真後ろにいた私も青信号に変わったことを確認したので「あの子は間違ってないよな・・」と心の中で思いました。
社会にはきちんとルールを守り生活している人もいれば、そうではない人もいて、悪(犯罪)から身を守るためには自分から危機を回避しなければいけないこともある。
より良い生活のために法律が定められ、道徳の授業を受けても「自分さえよければ」とか「みんなも守っていないから」と少しずつ正しさが捻じ曲げられていく。
そして、それが積み重なり本来の正しさは意味をなさなくなる。
以前見かけた運転手はあのときどう思っていたのだろうか。
「きっと歩行者は避けてくれるだろう」、「急いでいるから今は仕方がない」なのか、もしかしたら無意識だったのかもしれません。
その一瞬の判断で違う事態が起こりうる可能性もあったのに。
小学生で習ったことを実践している大人が少なければ「大人は違うことをしている」とそこに説得力はなく、若者が成長するにつれて疑問を抱くのも当然だと思います。
家族・会社の同僚・友人の中にもいるかもしれないし、もしかしたら誰かにとっては自分も説得力の無い(危険な)行動をしている人間である可能性も。
周りの大人たちだけではなく、国民の代表者たちが現実を直視せず自分たちの都合の良いように問題の本質を捻じ曲げている。(お金、権力を誇示するためだけなんでしょうか・・)
そんな現代では真面目に生きている方が損をすることもある。
でも、シンプルな事実として「みんながそうしているから」は人を傷つける・迷惑をかけていい理由にはならない。
感情任せの「自分さえ良ければ」で行動する人より、当たり前のことをコツコツできる人の方が(理想的かもしれないけど・・)見ていて「カッコいい!」と思います。
誰に褒められたいわけでもないけれど、当たり前のことを当たり前にできる大人(人間)でありたい。
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