集団をつくる意味は本当にあるのだろうか

思考
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人間が複数人集まれば一人で何かを行うよりも新しいアイデアが浮かぶ、作業を分担できるなどのメリットがある。

単純に人数が増えれば知恵も増え、可能性が広がると思っていました。

でも、進学、就職を通して感じたのが、集団ができる・人数が集まれば集まるほど、個人の行動が制限され異物を排除しようとする雰囲気があること。

家族、学校、会社などの集団の中には肩書きとは違う、なんとなくリーダーのような人が存在し、それはその人自身が名乗るというよりも周りが作り上げた雰囲気のような。

集団で円滑に過ごすためにはリーダー格の人の意見に寄り添う必要があり、その反対を選択すれば違う人種のように見られる。

リーダー格の人をヨイショするわけでもなく、空気を上手に読めるタイプでもない私は家族、学校、会社など、場所が変わってもその都度、集団に属することに疑問を感じていました。

  • せっかく違う人間同士が集まっているのに、なぜ違う意見を持つ人を排除したがるのだろう。
  • なぜ、底辺の人を配置したがるのだろう(マウント?)
  • マウントを取りたいから集団を作る? 集団があるからマウントを取る?
  • なぜ、その集団以外の人と話すと不審な目を向けられのだろう。

己の身を守るために群れを作り、他者と行動を共にすることが動物的本能によるものならば自然な行動なのかもしれません。

我々人間の場合、自分を肯定したい(否定されたくない)がために似たもの同士で集団を作るなどでしょうか。

肯定されたい、味方が欲しいだけなら聞こえは良いかもしれないが、実際、集団の中には優越感に浸りたいために自分より目下の立場を作りだす人たちがいるようにも見えます。

動物的本能だから仕方ない?

本当にそれで良いのでしょうか?

それが本能による行動だとしても私は「もったいない」と感じてしまいます。

我々には自ら考え、判断する力がある。

今ある集団を維持したい、未知のもの(人)を知るのが怖くて新しいものを取り入れないなど、無意識ながら理由はあるのかもしれませんが、形だけ、雰囲気だけの集団を作り、その一員になる必要はあるのだろうか。

誰かと比較、他人を踏み台にして得る優越感に本当に価値はあるのだろうか。

学校、会社など、集団(組織)に属さなくてはならない場面も実際には多々あるでしょう。

行動としてそこに属する必要があったとしても、全身全霊集団(組織)に染まる必要はなく、「個」に重きを置いた方が自分を殺さず、相手に何かを押し付けずに済むのではないかと思います。

最後に余談ですが、自分の話ばかりする、グチを言いたい人の方が集団に入りたがる、作りたがる(人とコミュニケーション取りたがる)のは少しやっかいですよね^^;

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