本当の多様性は日常ではなく、アニメ・漫画の中には存在している(ように見える)。
見た目(髪、目の色とか)、年齢、性別、職業など、さまざま。
例えば、春から新シーズンが放映されている「転スラ」では、違った種族(エルフ、オークなど)が同じ国に暮らし、それぞれの得意分野を活かした仕事をしたり、新しいことを始める際には各代表者が集まり話し合いをしている。
それはアニメの中として、実際の社会と比べてみると、日本の中でも転入者が増えているという関東圏は地方よりは多様性の意識があるのかもしれない。
転入者が増えることに比例して多様性が進むかというと、そうとも言い切れない。
ただ、一極集中の現象が起こっていてるだけでそこに本当の多様性は無いように見える。
蓋を開けると、人数が増えても見た目・思考が似たもので集まり、同じ行動(=正解)にこだわっているように見える。
それでも常に新しいものを排除、間違い探しをしている地方よりはマシなのかな。。
似たもの同士が集まり集団化するのか、集団の中に入りだんだん言動が似ていくのか。
どちらが先なのだろう?
厳密にいうと、誰1人、頭の先からつま先まで、思考まで100%同じ人間はいないのだけど、やっぱりアニメなどと比べると現実は多様性というより、同一(単一)に近い、あるいはそれを目指しているように見える(のは私だけだろうか・・)。
現実は漫画、アニメ、あとはドラマとは違うと大人は言い、子供も成長するにつれて「現実はそんなものではない」と気づく、思わされる人の方が多いのだろう。
でも、世界的に評価されているその漫画を生み出し、アニメを制作、主に観ているのは同じ我々日本人である。(幼少期から、日本の作品を見たことのない日本人の方が少ないと思うのだけど)
漫画、アニメに触れながら成長し、現実とのギャップを感じ、「それはそれ」と割り切って生きる。
そうして「現実はこんなものだよ」とある程度の妥協の仕方を次の世代に繋いでいく。
そうして単一民族の出来上がり!(人種で判断したら、であって欲しい)
これはおそらく、綺麗事なんだろうけど、もし、「転スラ」のような環境が揃っていたら、もっとマシな企業が存在し、個の可能性をもっと引き出せるのではないだろうか。
似たもので集まる、そのために違いを排除するのは動物的には正しいのだろうけど、そのちょっとの違いは他者に危害を加えるのだろうか、企業に損失を与えるのだろうか。
排除する前に可能性を考えるべきで、人間は単一より先に行ける。
そしたら多様性なんて言葉を使わずとも、多様性が存在する社会に自然となっているのではないだろうか。
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