自分の時間の大切さに気づき相手も想う

思考
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自分の時間は誰のものでしょうか?

当然、自分のもの!

でも・・命をくれた親のものでもある?

1日24時間×残り数十年をどう使うか。

今日は時間の使い方について考えてみました。

個人的な時間の使い方

私の中には3つの世界、時間軸があります。

・家族との時間

・社会と関わる時間(会社員の頃)

・自分の時間

相手と楽しく過ごすために時間の使い方について話し合う。

自分の力を会社でどのように活かせるか、会社に求めることを考える。

そして、自分らしく生きるために頭の中を整理する時間が必要。

それぞれによって考えるべき課題、果たすべき役割が違うと思うからです。

そう思った背景

中学、高校生くらいのときから細かいことに強いこだわりを持ち始め(今思うと頑固な部分が芽生えたのだなと思います^^;)、生意気にも「人は皆、自分が1番大事なのかもしれない」と感じるようになりました。

なぜなら、私の目には自分の親を含めた周りの大人たちの行動がそのように見えていたから。

子供(相手)のためと言いながら、今目の前にいる相手をすり抜け未だ見ぬ先の自分の利益に視線を向けているように見えました。

集団のために時間を使うことが大切か?

集団(家族、会社)のために自分の時間を捧げることが美徳のような空気感。

子(年下)ならば親(年上)の言うことに従うと思っている?

親が「Yes」と言ったなら子も「Yes」と答えるとでも?

会社でも同様のことが起こっているのではないでしょうか。

専門家ではないので詳しい理由は分かりませんが、”親⇨子”、”上司⇨部下”のように自分に時間を捧げてくれる相手を無意識に選別しているように見えるのです。

1日24時間は誰にでも平等にあって、その時間はその人自身のもの。

まずは自分がその時間を「どう使いたいか?」考えるべきなんじゃないでしょうか。

考え、そして誰かと時間を共有することが自分にとって有意義なのだと思えば相手にその旨を伝え、共有する方法を共に考える。

”自分が思ったのだから相手も共感するに違いない”というのはあくまで自分の意見。

相手には相手の時間の使い方があるのですから。

”楽しい”に時間を使う父の話

正確には夫の、私の義父。

周り回って人間らしい

自分の意思に素直であり、自分にとって何が良いかを考え行動する。

好きな洋服を着て一人で電車に乗り都心へ出かけ、オシャレなお店で平日ランチを楽しむ。

自分がヒマを持て余している≠相手もヒマだろう、”他人を巻き込むのは違う”と理解しているのでしょう。

捉え方によっては他人に興味が無く冷たい人間のように思えるかもしれませんが、これは周り回って相手を尊重することにもつながると思います。

そんな父は男性・女性、年上・年下だから・・なんて言葉はほとんど使わない。

自分のものは自分のもの

相手のものは相手のもの。

いつの間にか

部下の手柄は上司のもの

子の功績は親の忍耐の賜物

上記のように平等に与えられていたものが捻じ曲げられていく現実。

経験者からの学び無くして次世代の成長(成果)が得られないのも事実。

ですが、シンプルな真実を無意識に捻じ曲げてはいけないと思います。

さいごに

自分の隙間を誰かに埋めてもらうことを前提にしてしまうと、相手がそれに気づかない、相手が期待通りの行動を取らないとストレスが溜まる。

自分のために自分の時間(思考)を使うことで自分も相手も精神的に自由になれるのではないでしょうか。

実際、自分のしたいような服装や生き方をしている人って素敵に見えますよね。 

アメリカのドラマを観ているときに「Life is short.」というセリフを何度か耳にしました。

人生は意外と短く、そしてたった一度きり。

後悔しないように自分で考え、選択すべき。

現代はPC・スマホ一つで情報を得やすく、人とも繋がりやすくなっています。

ネットを通して学び直しだってできる。

自分の大切な時間(人生)、自分を基準に有効活用してみませんか。

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