「こうなりたくない」から考え始めるのもあり

思考
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いつものようにYouTubeを鑑賞していたとき、とある動画内でのある大学生の一言が耳に残りました。

「こういう大人になりたくないと思った」

それがきっかけで環境問題などに目を向けるようになったとのこと。

「将来、こういう風になりたい!」漠然とした発言より、ある意味前向きに聞こえました。

「こうなりたくない」は一つの決意

将来の夢、こうなりたい!を見つけた方がポジティブなのかもしれませんが、私自身、いろんな人を見てきて「こうなりたくない!」と思うことがあります。

年齢関係なく「この人の態度は素敵だな」、「この人の態度はなんだか威圧的だから自分もこうならないように気をつけよう」など。

また、それを受け取る人(側)によって良い例・悪い例は異なると思います。

具体例を出すと、私の場合の「こうなりたくない」は親のある行動。

それは、その場にいない相手の悪口を別の第三者に話すこと

幼少期によく見かけた姿

同級生の親同士でにこやかに話していたかと思うと、その場を離れた途端、「あの人と話すと疲れる・・なんかニガテ・・」ポロッと本心をこぼす。

でも、次会ったときはまた楽しそうに話している(ように見えた)。

子供の私は行動と発言に矛盾、違和感を抱いていました。

そして、私も年齢を重ね、社会人となり私があまり好きではなかった親の行動がときに必要になることを知りました。

本質的改善にはならない

不満を抱える本人は心の中の墨を他人に吐き出すことで心(脳内)が少し澄んだような気分になるのかもしれません。

一方で、それを聞かされた相手はどうでしょうか。

「そういうことがあったんだね、大変だったね」と優しい言葉をかけてくれる人もいれば、「この人、また同じ不満を言ってる・・」と内心思われているかも。

言葉を吐き出す人自身がそれで満足、苦しみを軽減でき、聞く相手との間に信頼関係があればそれもストレス発散方法の一つ。

ただ、親のそれを聞きながらまだ社会に揉まれる前の私は「本人に言った方が早いのにじゃあ話さなければいいのに」と心の中で思っていました。(本人に「あなたのこと好きじゃないです」とはさすがに失礼すぎて言えないですけどね^^;)

社会人としてなりたくない姿

とある病院の面接を受けた時の出来事

受付で履歴書を渡し、ドキドキしながら待合室で名前が呼ばれるのを待っていると、一人のスタッフが履歴書のコピーを取り始めたのが目につき・・

「きっと面接官(医師)が何人かいるのだろう」と思っていたら、コピーされた履歴書は医師以外の看護師(受付?)の方数名の元へ。

しかも、その方々は面接に参加するわけでもなく、面接を行っていた隣の部屋で履歴書片手に聞き耳を立てていたのです。

私が残念に思ったのはその行為だけではなく、その方々が隣で聞き耳を立てている間、残りのスタッフ数名で開院準備の掃除をしていたこと(他の人には掃除をさせていた)。

その姿を見て、私はその病院で働く自分を想像しました。

もしも私がここに転職したら、新人の頃は先輩が掃除をサボっていても見て見ぬ振り自分が先輩になったら自分がサボった分を後輩に押し付けるのだと。

本来の仕事を放り出すのはどうかと思います(^^;;

なりたくない姿と決別

後日、内定のご連絡をいただきましたが、丁重にお断りしました。

担当者に理由を聞かれたので「断りもなく履歴書のコピーを取り、回し見していたスタッフが居たことに不信感を抱きました」と伝え、履歴書を返却してもらいました。

相手がどう受け取ったかは分かりません。

社会とはそんなものだと割り切り、ただ黙って内定を受け入れその病院で働くよりも、社会の理由なき秩序(その病院での暗黙のルール)は無視してでも自分の意見をハッキリ伝えなければ、とそのとき思ったのです。

そうしていなければ、自分の意見を口に出さなかった事を後悔し続け、家族に何度も不満を漏らしていたかもしれません。

まとめ

「こうなりたい」と発言した方がモチベーションが上がる場合もあると思います。

「こうなりたくない」というリスク回避のような考え方から入るのも具体的で良いのではないかと個人的には思います。

なぜそれが嫌なんだろう」、「そうならないためにはどうするべきか?

そこに思考(行動)が伴えばきっかけが何にせよ、結果自分のなりたい姿に繋げることができる。

年齢、経験を重ねた者の発言や行動がいつだって正しい、比例するとは限らない。

『良い例・悪い例』を見定め、『取り入れる・取り入れない』を自分で判断し、自分のあるべき姿を見つけて欲しいと大人の私は(心の中で)願いました。

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