いつから頭の中に浮かんだ疑問や興味に従うより、空気を読むことを優先するようになるのだろう。
この内容について考えるとき、いつもお世話になっている美容師さんから聞いた、その方の子供が通う保育園での話を思い出す。
その保育園には子供たちの間で揉め事が起きた際、当人同士で話し合いをさせる保育士さんがいて、自分たちで何が問題だったのか考えさせるのだそう。
お互い「ごめんね」と解決できる、小学生以下の年齢でその内容を言語化できるって、すごいなと思ってしまった。(大人でもできない人がいるくらいなのに・・)
内容が違えど、大人になっても他人と揉めたり意見が合わないことなんて日常茶飯事。
それと向き合うかどうかはその人次第、相手にもよるけどきちんと向き合える大人なんて実際、どれだけいるだろう。
子供の頃は年齢に比例して大人の方が賢いのだと思っていたけど、実際歳を取るとある程度若い人の方が賢いのではないかと自分の親を含め、周りの大人を見るとそう感じることがある。(資格、テストで良い点を取るのとは違う賢さ)
年齢とともに賢さも衰えるのか?
(脳の老化はひとまず抜きにして)
保育園児、10代、30代ではそれぞれ知識量、経験値も違う。
では、何が違うのだろうと考えてみると、知識や経験の多さに比例するのではなくではなく、
気に留めるかどうか(興味を持つか)が境界になるのではないか?、という推測に至った。
人によって興味を持つポイントは違うけど、その興味を追い続けるか、その過程で生じる疑問を深掘りするか。そして、それを言語化するかどうか。
(好奇心に従い続け称賛される結果を残した人は天才、他人から見て何も成し遂げていない人は変人と思われるが)
大人の場合、質問する内容によっては知らない=無知、と思われることを恐れて口に出さず知っているフリ、そのまま聞き流す人もいるだろう。
疑問が生じたら恥などと考える前に「なんで?」と口から出てしまう、行動に移すのが子供との違いだろうか。
本来、その行動こそが新たな学びの機会であり、そのチャンスを自ら捨てる大人より若い子供の方が成長速度が速く賢く見えるのかもしれない。
成長するにつれて大人の背中から「この場でその発言は良くない」と、大多数に混じるための空気を読む術を学び、その代わりに人間が持っている知的好奇心が薄れていくのかな。
人間も動物として団体を形成し、その中で生きれば確かに安心感もあるけど、人間個人で考えたときに自分の意思に従う、団体に馴染むための術を学ぶ、どちらが幸せで後悔が少ないのだろう。
典型的な昭和的価値観で暮らす両親を見ていて選択肢がない、
選択肢を自ら減らしているようで私には人間個人としては幸せそうに見えなかった。
(本当のことは本人達にしか分からないけど)
外で威張れない、無知と認識されたくない父親は家庭内で「No」と言えない女子供相手に「自分は賢いだろう!」と威張り散らしていたし・・
どこかで生じた歪み(ストレス)はどこかで発散され誰かを傷つける。
でも、自分でそれを解消できればその歪みを他人にぶつける必要もない。
一瞬その場の空気が乱れたとしても、自分の意見言えたり、疑問を解決できた方が後悔が少ないのではないかと大人(中年)になってよりそう思う。
長い人生、まだ折り返し地点。
(誰かにとってはまともな人間、誰かにとって変人と思われようが)勇気を持って空気を読むことを少しづつ止めてみようと思う。
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