最近の日課は専門家同士が集まって討論する動画をYouTubeで見ること。
その中で、メンタルケアの専門家による「固定観念に縛られず、自分と向き合い、自分が何をしたいか、何を思っているかを考えるのが大事である」、という言葉がとても心に残りました。
自分で自分を縛り付けるのを辞め、思考を広げることでもっと自由に行動できるはず!
固定観念とは
いつも頭から離れないで、その人の思考を拘束するような考え。固着観念。
goo辞書より
- 男性はこういう姿であるべき
- 女性ならこう行動すべき
- ◯代なら・・◯代までにはこうしていなければ
聞き覚えのある内容だとこんな感じでしょうか。
人から言われる事もあれば、自分自身に対して無意識に思っていないでしょうか?
幼少期、呪文のように聞かされていたこと
両親、弟の計4人家族で近くに祖父母が住んでいました。
祖父母が他界した今でも記憶にある祖母から何度も聞かされていた固定観念。
「女の子なんだからいつでもニコニコして愛想良くしなさい」、「休みの日でも服を着替え、顔と整え身なりを良くしなさい」、そして弟には「男ならベラベラ喋りすぎず、黙っていなさい」と。
人見知りな私と違い、弟は陽気で誰とでも仲良くなれて思ったことをすぐ口に出す性格でした。それはそれで長所なんですけどね^^;
学業に関しても男女差がありました。弟の場合は4年生大学に行き、良い企業に入ることを望まれ、私の場合は進学するなら地元の短大で十分なのではないか、とのこと。
あれ?なんだか不思議ですね(・_・; この世に生まれた時点ですでに性格、生き方までレールが敷かれているような・・
固定観念だとは気づかなかった
「なんか嫌だな〜」、「男に生まれた弟が羨ましい」と思いながらも固定観念を植え付けられているとはその時点ではまだ気づきませんでした。なぜなら、親も親戚も教師も友人もほぼ同じ考えだったから。
それが普通、当たり前と思っていたんです。私自身、そうやって思考を止めていました。
もちろん、それが個人の意見であれば否定するつもりはありません。でも、その普通・当たり前は他者に対して本当に同様なのでしょうか・・
固定観念は時に選択肢を狭め、視野を狭くする?
大学進学で地元を離れた私は人との出会いを繰り返し、自分が感じた疑問を頭の中で問い続け、少しづつ謎の呪いに縛られていたことに気づきました。
それでもまだ頭のどこかにこびりついていて、ちょっとしたきっかけで呼び起こされることもあり、自分が良いと思って選択したこと(もの)が他者と違うときは自分の思考を疑ってしまうことも。
社会人には新たなルールが
大人(社会人)になるとまた別の箱が用意されていて、気づくと上司・先輩の顔色を窺い、自分の思考・意見は二の次。
いつから簡単な「それってそどういう意味ですか?」、「どうしてそれが必要なんですか?」などの簡単な「なぜ?」が言えなくなってしまったのだろう。
人間一人を「個」と捉えるならば、自分一人の世界(脳内)では自分の考えたことが正義であり、望んだことに従うことが本来、当たり前なんじゃないかと思います。(※他者に危害を加えたりなどはダメ!絶対!ですが)
固定観念に疑問を抱いた理由
そもそもなぜ固定観念に疑問を抱いたのかというと・・そこに理由などないから!
今更他界してしまった祖母に「なぜそんなことを言い聞かせたのか?」と聞くことはできませんが、もし、当時の私に知恵があり、大人びた台詞で聞いていたとしても「そういうものだから」、「自分もそう言われたから」と答えるのではないかと思います。
言い慣れた呪文のように口から出てくるんでしょうね、きっと。
子供に理由を話しても理解できないと思っていたのかもしれませんね。
発言した本人自身の人生がその生き方で良いのなら、受け取った相手が満足なのであれば問題なし。
でも、向ける相手によってはそれを人に植え付け、その人が本来できたかもしれない可能性や心から望んでいたことに蓋をして自分の人生に自分で制限をかけてしまうのではないでしょうか・・
固定観念、常識を疑う
日本での普通、常識に感じた疑問を投げかけると逆に不思議に思われることがあります。
疑問を抱いた私がとった行動
まず、人との連絡を減らしました。新しいけど無駄な情報が入ると思考が乱されるため。それはそれ、これはこれ、と割り切れるならばメリットもあると思います。
元々、一人で黙々と何かを考えたり(ぼーっとしているとも言うw)、作業するのが好きなので連絡や関わる人が徐々に減っても苦ではなく、むしろ、考慮すべき事項が削減でき頭の中が軽くなりました。
疑問に思ったことを口に出してみる、「なんか嫌だな〜」など感情の機微を見逃さず理由を考えてみる。そんな小さな行動からスタートして自分の意見をアウトプットする練習をしています。
まずは意識を変えてみる
人間も脳も意識しないと怠けてしまうのかもしれません。制服があるメリット、隣の人に賛成した方が楽な場面もあるのも事実。
でも、他者との違いに気づき自分を曲げたり思考を歪める必要はないと思います。違いに気づいたとしても「そういう意見もあるんだ」、「そう思う人もいるんだ」、「私ならこう思うな」、なぜならば違う人間だから!と。
そしてその違いを押し付ける必要もないはず。
大切なのは根拠なき固定観念に沿って生きることでも見えない空気感を読むことでもなく、自分の意思に素直であること。
「これはなんか嫌だな」、「こういうの良いな」、そんなちょっとした気持ちから一度立ち止まって自分自身と対話し思考を巡らせるのもなかなか悪くないですよ。
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