ChatGPTなどの対話型AIが当たり前のように使われる時代になってきた。
いつの間にかGoogleの検索画面にすらAIモードが表示されるようになり
自分で選択せずとも自動で情報を集めてくれる。
その機能を作り出す人間の進化とそれを必要としている人(需要)の多さを実感します。
人間の代わりに情報収集、資料作成してくれる、
人間の時間を作り出してくれる便利さの反面、
その必要性が加速していることに少し違和感も感じます。
便利ならばそれで十分、何も問題は無いように思えるがなぜ必要とする人が多いのか?
単純に時間に追われている人が増えているのかもしれないし
SNSなどから得る情報が多すぎて処理しきれないのかもしれない。
それ以外に思い至ったのが、
・客観的意見(他者の主観が入らない)を求めている
・とりあえず話を聞いて共感して欲しい
対話型AIに対してはこのような理由もあるのではないだろうか。
以上の2点を裏返すと、
・主観を言ってくる人が多い(その人の感情や経験による)
・相手の話の途中で自分の意見にすり替える
どちらも「普通は〜こうするだろう」、「なんでこうしないの?」など、
相手の意図を汲み取らず、いつの間にか主観を述べている人が多いという現状もあるのではないかと思う。(=客観性、柔軟性に欠けた意見が多い)
どちらも結果、相手の話に最後まで耳を傾けず、
人間同士の会話が成り立たないならば感情の無い、ただ話を聞いてくれるAIで十分とも言える。
スマホが世に出てきたときのように、
流行りが常に変化するように人間は新しい刺激に魅力を感じ、
それと同時に「普通は〜」などといった既存の定型文に飽き飽きしているのかもしれない。
(少なくとも私は根拠の無い主観と思ってしまう)
最近は話を聞いてそれに共感してくれる機能もあるようですが
相手の表情、声のトーンなどから言葉には表れない意図を察する点においてはまだ人間が優勢のはず。
その機能を最大限発揮するには他者をよく観察し、
相手が話している間くらいは自分を多少抑える必要があり
それの繰り返しが人間同士の会話なのではないだろうか。
ときに意見が食い違いモヤモヤすることもあるかもしれない。(たとえ意見が違ったとしてもまず話を聞くということが相手を個人として認識できるといえる)
そんなときにやっぱりAIの方が良いと思い、
それを対人関係を諦める(逃げている)と言われることがあるかもしれないけど
客観的意見を取り入れて冷静に自分の意見をまとめる助けになるならば
AIとの共存にも意味があるように思います。
人間同士の会話をしているようで実は成り立っていない状況は私自身も何度も経験があり、
(途中から話の趣旨が変わりこの人に話をするのはもう止めようと思った)
自分自身も気をつけなければいけないと思っているが
なぜこのように振る舞ってしまう人が多いのかは正直分からない。
(皆同じ思考であるはず=聞く必要がないと思い込んでいる=他者の思考に興味が無い?)
人間の機能(脳)を人間の代わりにできる機械が存在することは
人間が進化し続けている証明にもなるが
技術の進歩、投資マネーが動いている裏でAIを必要としている人たちの真の目的は何か?、
それを理解することで人間の脳にしかできない、
個人の可能性を高めることにつながるのではないかと他者との会話を通して感じます。

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