身近にいる見習いたい人

思考
スポンサーリンク

現在、マンション暮らしをする中で「この行動見習いたいな」と思わせてくれる人たちがいます。

相手の良いところを真似て人との関わり方を自分から変えてみよう!

見習いたいと思ったきっかけ

同じ住所を共有しているけど知らない人だから声はかけない方がいい?

違うフロアに住んでいる方々にほどんど会う機会もなく、エントランスやエレベーターですれ違う程度。お互いどこの誰かなんて当然知りません。

すれ違った際に少し悩むのが「話しかけない方がいいのか」・・ということ。

時代と共に人との関わり方も変わってきているように見え、話す以前に挨拶すらすべきか悩むことも正直あります。

実際、挨拶をしても相手が無反応だったことも何度かあり、心の中で「余計なことしなければよかった・・」と思ったことも。

もしかしたら声が小さくて聞こえなかっただけかもしれませんけどね。

マスクをしていると余計聞こえづらいし、表情も見えにくいですよね

当たり前が言える大人とは

そんな小さなことを気にしながら過ごしていたある日、その迷いを吹き飛ばしてくれるかのような出来事が。

いつものようにエレベーターが降りてくるのを待っていた日のこと。

同じエレベーターを待っていた住人の方がすれ違う誰に対しても明るく「こんにちは」と自ら挨拶をしていたのです。

それに釣られてか、挨拶された相手皆それに反応し返答していました。

家庭、学校、会社、場所が変わったとしても当たり前にする行為のはずですが、今のこの世の中で当たり前のことを当たり前にこなすその人の行動、素晴らしいなと感じました。

まだまだいる!見習うべきものたち

その人以外にも見習うべき人はまだまだいます。それは同じマンションに住む子供たち。

実は大人よりも当たり前のひとことが言える子供たち

すれ違うときに「こんにちは」と挨拶はもちろん、エレベーターの扉を開けていたら「ありがとうございます」、と言える小学生くらいの子供たち。

これも当たり前のように思えますが、大人の場合、上記の例に限らず相手に道を譲ってもらったりだとか他人に何かしてもらった際、「すみません」と口から出てしまうことってありませんか?

私もつい言いがちなんですが、相手からも同様に言われることが多い気がします。

子供たちの場合、「すいません」じゃなくて、「ありがとうございます」なんですよね。

きっと、誰かに助けてもらったり、何かしてもらった時はお礼を言うんだよ、と教わっているんでしょうね。

誰かに手を貸してもらったとき、相手に伝えるべき言葉は本来、「ありがとう」だったなと気付かされました。

「すみません」は万能な言葉?

自分も含め大人たちも幼い頃にはそう習っていたはず。感謝の言葉を伝えるはずがいつの間にか「すいません」という言葉が口から自動的に出てくるように。

「(相手に対して)お手を煩わせてすみません」とか、「(借りを作りたくないので・・)すみません」みたいなニュアンスなんでしょうか?

同じ状況で「ありがとう」と同じように使われている「すみません」、少し不思議な気もしますね。

例えば、荷物を持っていて扉が開けられないなど、何かしらの事情があって自分一人で全てできないとき、他人の助けが必要になってしまう場面もあると思います。

助けてもらえたのであれば素直に感謝し、自分が同様の場面に出会したら同じようにまた誰かに手を差し伸べる。それが社会で生きる、ということなんですよね、きっと。

大人の私も変わらなきゃ

挨拶の話に戻ると、こちらから挨拶をしても相手が無反応だった場合、少々モヤッとするのも事実ですが、実際は無反応な人よりも返答してくれる、相手から挨拶してくれる方が多いのも事実!

「きっと聞こえなかったんだ」、「そういう日もあるよね」と割り切り、良い事実があることも受け止めるようにしています。

同じような出来事が続くと、自分の受けたダメージを和らげるため「こういう人は次もきっとこうするかもしれない」とか相手をカテゴライズしてしまう。

挨拶を返してくれなかったのはあくまでAさんという個人で、Aさんと同じ年代、性別のBさんが同じ行動をするとは限らない、と相手をフラットに見なければ、判断しなければいけないなと思いました。

今回の挨拶は一つの例に過ぎず、日常の小さなことから人との関わりの中に巣食っている現状を知るきっかけにもなりました。

少し大げさかもしれませんが、「すいません」が口癖の世の中で「ありがとう」と言ってくれたことに「ありがとう」。

その一言を口に出せることがシンプルかつ、いかに素晴らしいか。

たったひとことからまず、行動を変えていきたいものです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました