「普段、何してるの?」、「今日何してたの?」という質問が苦手・・。
相手は何を知りたいのだろう?、
答えによってはヒマ(=忙しくなさそう)と思われるのでは・・?
などと勘繰ってしまい、正直に答えづらい。
正直に答えるならば、「(あなたに言うほど大したことは)何もしていない」
本当に何もしていない日もあるけれど、相手によってはどう答えるのがベストか考え間が空いてしまうことも。
特に親から「ヒマな日常」を過ごしていると認識されてしまった場合、
実家に帰って来られる→話し相手(暇つぶし)になれると思われる恐れがある。
向こうが良くてもこちらは非常に困るため、長期休暇であろうが仕事など何かと理由をつけて忙しいフリをしなければならない。
もう一つ答えたくない理由は、相手と自分、どちらが忙しくてどちらが楽をしているか天秤にかけられる、他人の物差しで測られてしまうため。
仕事、家事、育児など、
我慢、24時間忙しく過ごすことが美徳のような雰囲気(昭和の価値観?)が世の中にはまだ残っていて
目に見える資産の二極化だけではなく
同じような生活、思考の人たちで一塊になり
SNS上で逆の立場の人たちを批判する傾向があるように見える。
(アメーバTVで取り上げて議論されているような内容)
そういった内容を見ていると
「人それぞれ違うのに、なぜ単純に二つに分断するのだろう?」、
「表面に見えていない部分(体調とか)もあるのに・・」と思ってしまう。
他人が他人の時間の使い方、忙しさを推測する(決めつける、かな?)。
言葉にすると恐ろしいことだけど、
自分の方が忙しく過ごしている(=苦労している)と優越感に浸れるのか?
これからもそういう人達(我が親も含め)は一定数存在するのだろうな。
なので、そういった人たちの物差しに自ら乗らない、
相手はそういう基準で日常を過ごしていて
自分はこういう過ごし方が有意義なのだ!
その基準を持っていれば他人に測られようが少しは気にならなくなるのかなぁと思うようになった。
先に「他人から比較される」のではなく、
意外と「自分が他人と比べている」
1分1秒忙しくしていなければいけない、
こうでなければならない、と思い込んでいる。
成長していない自分に焦ったり
時間を持て余している自分を許せていないのかもしれない。
実際、夫と猫以外、友人もほぼいない、親とも疎遠になった私には
1日の予定を聞かれることも
物差しで測られることもないので要らぬ心配というか、
ただの被害妄想なんだと思う。
人から見えている(であろう)姿、
自分の理想とする姿、
現実の自分との差が少ない人の方が矢印が自分に向いていて
他人をマウンティングしないのだろうな。
「常に忙しく過ごせ!」と言われてもいないのに
「こうしなきゃ・・」と思ってしまうのは被害妄想で
他人が脳裏によぎるとき自分との対話を優先すべきなのかもしれない。
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