会社と家庭の偏った共通点

思考
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会社や家庭といった集団に新たに加わるとき
無条件に快く受け入れるというより警戒心を向けられたり、
また、集団の一員として足並みを揃えるよう無言の圧をかけられた経験のある人は多いのではないだろうか。

集団側は相手(新種)に興味も持つ以前に敵か味方か、
自分の縄張り、立場が脅かされないか事前に把握しておきたい。
(プラスになるかより、マイナスにならないかが優先)

会社でも家庭でも無意識に考えている人が多いように見える。

社会的動物の人間にとっては自然、本能によるものなのでしょうか。

そのような現象が他人同士の集まりから成る会社だけではなく
もう少し距離の近い家庭内でも起こっていることに悲しい気持ちを抱いてしまいます。

年齢を重ねるにつれ、品定めをされていた側から今度はする側にならないよう意識を向けなければなりません。

地方出身でそのような雰囲気見てきた私はそれが当たり前でもあり
脳の片隅に違和感を感じていました。

「何かが変」と思いつつ、でも何が変なのかまでは言語化できず
「地方のこういうところが変!」と夫にただ文句を言っていたと思います。

そこから数年経ち、今となってはただ文句を言うとか、
「自分は間違ってないよね?!」と自分を正当化するために相手を巻き込むといった行動は誰にでもでき、
その行動だけで見ると会社、家庭内にいる彼らと同じことをしているのではないか?!

批判しただけで相手は変えられない、会社の業績が上がる訳でもない。

今後の同じことをしないために変わらなければと考えるようになりました。

まず、何に嫌悪感を抱いてしまうのか言語化する

・何が嫌だったのか
・なぜ彼らと同じようになりたくないのか

実際にどうしたいか、どうすべきか考える

そして行動に移す

家族と距離を置き、人と会う頻度を減らし(情報を増やしすぎないよう)
全く考えない日もあれば取り憑かれたように考えてしまうを繰り返し
思考がここまで至るのに約10年かかったように感じます。

この期間が短かった、長かったのかどちらかは分からないけど
脳内のモヤモヤを分析するにはある程度一人の時間が必要で
ここに時間を割けないと自分が経験してきたこと、親と同じような生き方を無意識に選択してしまうリスクがあるのではないかと思う。

今まで見てきたことと全く違う、見てきたことに沿って生きる、
どちらも自分自身での選択なら問題ないと思うが
選択権を手放し、流れに乗っただけの場合、
後から他人(特に若い人)に当たってしまう人が増加しまうのでは?、と危惧しています。

人は自分と違う生き方をしている他人を目の当たりにしたとき、
そのまま受け止めるというより脳内でポンっと違和感を感じてしまうこともあるのではないかと思う。

その違和感は新種(未知)から生じる不安なのか、
自分(経験や人間性)を否定されたかのように極端な感じ方をする人もいるようだが
自分を肯定するためにその違和感を口に出す(=他人を否定する)と
それを聞かされる人数が多くなるほど根拠のない、相手を評価を下げるような噂が広がるなど
負の連鎖が広がってしまうのではないだろうか。

さらに、発展途上中の若者に先入観や偏見を与えてしまうかもしれない。

私はまだ大人でも変われる(可能性はある)、
なりたくなかった大人のイメージを払拭し、自分の考え方次第で今からでも自分を変えられるのではないかと思っています。

集団に上手く適応することが個人としての価値ではなく、
個人が集まって作り上げるのが集団、そこで生きがいを感じれるのが良い集団なのではないだろうか。

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