コロナ禍以降、(苦手な)家族と物理的に距離を取ったり、対人関係が最小になったことで個として行動する選択肢が増えた。
誰かに会いたいと思ったときに会えないのは孤独を感じてしまうのかもしれないけど、意図的に距離を取る、一人の時間でやりたいことがあった場合、一日があっという間に過ぎてしまう。
当たり前のようでなかなか作り出せない時間が「こんなに贅沢だったのか」と気づく。
私が家族などの集団に属することが苦手な理由の一つは
「(精神的に)一人にさせてくれない」こと。
集団意識の強い日本特有なのか、集団から何らかの理由で外れようとすると
・一人でいるなんて可哀想
・一人でいるなんて変わった人
・わざと違うことを選択して目立とうとしている
など、いずれかに認識されてしまうことが多いように思う。
学生のときは、仲良しグループ以外の人と話すと冷たい視線を向けられたり、社会人になってからは◯◯派閥に所属しないと仕事がしづらくなるなど。
身の安全を守る(可哀想、変な人と思われないため)、集団に馴染むためには一人でいないことが暗黙のルールであるかのよう。(実際、生存戦略として備わっているそう)
以上の状況から他者の視線を気にせず一人で有意義な時間を過ごすのは簡単なようで現実は難しいのだと思う。(地域にもよる)
顔の使い分けを要求されたり(主語が複数ある、統一されていない)、味方であるはずの集団内でさえ比較の絶えない日本ではいかに対人関係が個人にとって負担であるかの表れでもある。
人間は社会的動物で完全に一人で生きることは不可能で、コロナ禍以降の在宅ワーク、インターネットで買い物をして宅配ボックスで受け取るにしても必ず人を介している。
今は一人で過ごしたいのかな、そういう人もいるよね、とただ価値観の違いと思ってもらえる人はどのくらいいるのだろう。(例えば読書は静かにしたい人が多いのでは?)
最近は知りたいことがあれば人に聞かなくてもAIが教えてくれたり、おひとりさまという言葉のおかげもあってか、一人の時間を選択しやすくなったのかもしれない。
YouTubeでも一人時間を満喫している内容を見かける機会が増えたように感じます。(コメント欄も肯定的な意見が多いように見えます)
おひとりさまとわざわざ表現するまでもない、自然な行動と認識される世の中になると良いなと思います。

コメント