意見の違う、否定してくる(であろう)相手と会話しなければいけないとき、大人になっても「(あの人と)話したくないなぁ・・」と思ったり、場合によっては自分の意見を話すことすら諦めてしまう。
どうしても避けられない場合は、その場を穏便に済ませたいがために相手に話をさせ、適当に相槌を打ちやり過ごす。
そのメリットは、会話を無駄に広げずストレスを過剰に受けないで済むことだけど、一つ厄介なのは、そういう相手に限って、こちらが意見を言ってこない=賛同された、同じ意見、だと思い込む人が多い(気がする)ということ!
そういう人が「多い」と思うのは、まず自分の両親がそれに該当、学校や職場にも一定数存在していたため。
私の両親は自分たちと意見、選択肢が違えば理由も聞かず否定、そもそも違う意見を聞く気がないように見えた。(地方にそういう年上は多い)
小・中・高、そんなことが続き「どうせ話しても・・」と伝えることを諦めてしまった。
家族なのに相手の話を聞く「会話」すらまともにできない、それが私の印象だったのに対して、両親からすると、私が「話さなかったから」と捉えていたそう。
そんな両親とは大人になってからも会話が噛み合わず、そういう人への苦手意識は正直、今でも残っている。
苦手とは言っても、似たもの同士、同じ意見の人とだけ連んでいてもぬるま湯に浸かっているだけ、自分とは違う、新しい意見を取り入れないとなんだかつまらない気もするし、職場など社会の一員として生きていくためにある程度は避けられないのも事実。
2度と合わない人であれば、連絡を断つだけで済むけど、家族や職場など繋がりがある場合が少し厄介なんですよね・・^^;
〜その2へつづく〜
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