何かを選択する際に迷いがあるとき、自分に言い聞かせる言葉があります。
それは、「自分にとって良い方を選べば良いじゃない」
例えば、洋服を選んでいるときや髪色を変えようか迷ったとき、「この色少し派手かな?」と思っても年齢、立場(妻とか嫁であること)は考えず好きな方を選ぶようにしています。
その色を身につけたことで誰かに危害を加えるわけではないし、そもそも誰も見ていない(気にしていない)から。
他人に迷惑をかけるような判断でない(法律やルールを破るとか)、自分に関わる内容であれば自分の意思に従うのが後々後悔が少ない気もします。
それでも世の中には性別、年齢、妻・夫、子供・親などの箱が用意されていて、それからはみ出さないことが「正しい!」という雰囲気がある。
そうした目に見えない雰囲気のせいで「こうしたい!」から、「こうしなければ、こうであるべき」に変換されていく。
「悪目立ちしたくない・・」と思うのは当然なのかもしれません。
でも、雰囲気はただの雰囲気でそれに従わなければいけない正当な理由なんかきっと無くて、政治家が国民を、教師が生徒を、会社が従業員を一括りにし自分たちの仕事を楽にしたいだけなんだろう。
国に全てを捧げる兵隊のような国民、教師に質問しない生徒たち、上司にNoと言わない社員たちであればコントロール手段が少なくて済むのだろう。
ただ、人間には考える力があり進化する可能性があるので抑えつけてしまうのは個人的には勿体無いと感じてしまいます。
ちょっと話が逸れてしまったのですが、今回言いたかったことは、最低限守るべきこと(法に従うなど)とその必要がないことを切り分け、何となくある雰囲気など気にせずもっと自由な選択を、自己満足で良いのではないか、ということ。
地方出身でかつて性別、年齢に囚われていた私も今や金髪が定番に。
義理の両親の目を気にしたこともありますが、実際には頻繁に会うこともないので最近は気にしなくなりました。(ちなみに、金髪&マスク無しだとぶつかってくる人が少ない気がします^^;)
「雰囲気を読む」、「周りを窺う」よりも、ときには「察しないスキル」、「気にしないメンタル」も必要だと思います。
実際、「空気読めない」とレッテルを貼られても自由な選択をした人の方が生き生きして見えるし、自己満足を基準にしていれば他人の視線を気にせず、また、他人を形だけの箱に押し込めようとしないのではないでしょうか。
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