相手も自分も「ただ同じ一人の人間」

思考
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実の親に対して恐怖心を抱き自分の意見を伝えられなかった頃、職場の先輩に「ただのおじさんとおばさんだから」と言われたことがあります。

当時は話をしたところで「さらに強く言い返されるのではないか」、と目に見えない圧のようなものが拭えず、先輩の言葉を受けれられませんでした。

思い返すと、親も「ただの年下女性」ではなく、「言い返してこない娘」と思っていたのでしょう。

ちょっと話が逸れてしまうのですが、数年前にテレビで見聞きして印象に残っている一言があります。

それは、モデルのRIKACOさんがご自身を「職業RIKACO」と表現していたこと。

名前を聞けば誰かわかるくらい有名な方だからそう言ったのだろうか?

その発言の真意について解説していたかどうか、もう覚えていないのですが、自分なりに考えてみると、有名人、テレビ業界という団体に所属する・しないに関わらず、まず「一人の人間」、「個」であるという意味だったのではないかと思ったのです。

我々はこの世に誰かの娘(息子)として生まれ、成長と共に会社Aの〇〇、〇〇家の嫁(妻、夫)、おじさん(おばさん)、高齢者、などと捉えられる。

色々なカテゴリーがあってもよくよく考えるとそれ以前にみな一人の人間で、さらに世界で見たら日本人の一人、娘とか嫁とかおばさんだなんて分け方は小さなことに思える。

世の中には他人を肩書きでしか見れない人がいて、特に我が父親は有名大学卒、大手企業勤めの年上には腰が低く、女子供の前では威張り散らす。

そういう人の共通点は他人を自分と同じ「人間」と認識していないこと。

相手を「ただの人間」ではなく、女性、年下といった情報のみで判断、のち見下す。

逆に自分より有能だと(勝手に)判断した相手にはボロが出ないよう取り繕う。

どっちにしろ、相手の本質を見る気がないこと自体、自分都合かつ失礼ではないだろうか?

父親の羨む全てを兼ね備えたであろう義父は自分の肩書きをひけらかすことはなく、相手を表面で判断したりもしない。

自分を「ただの一人の人間」と思っている人の方が相手のことも「一人の人間」としてフラットに接しているように見えます。

最初の話に戻ると、親から「言い返してこない娘」と思われていたのが先か、「親に逆らうべからず」と自分で自分に縛りをかけていたのが先か。

どちらが先かは分かりませんが、私も相手のことを「親だから」ではなく、「ただの一人の人間」として見ていたら・・

相手の言っている内容が正当なのか、理不尽なのか正しく判断できたのではないかと思います。

次元の違う相手、ニガテ・・と感じる相手も蓋を開けたら自分と同じただの人間AとかBなのかもしれない。

なんとなく好き/嫌いなどの感情、自分より優れている/劣っているといった基準を捨て相手をフラットに見ることが大切なのではないかと思いました。

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