外からの指摘で当たり前が当たり前でないと知る

思考
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最近YouTubeで「KUROFUNE」という面白い番組を見ました。

日本に住む外国人による「日本のここが変」とか「もっとこうしたら良いのに」など、日本についての議論がされています。

日本での当たり前も外から見たら「ちょっとおかしい(非合理的な)」ことでもある。

外から見た日本、海外と日本との違いを知り日本での当たり前が「(無意味な)当たり前」であってはならないと気付かされます。

成長のためにリスクを取るか、リスクを避け現状を維持する。

どちらが適切かは状況によって変わるのかもしれませんが、そもそも人間自体、代が変わるごとに進化しているのに現状維持を選ぶ=成長を妨げる、のは人間の可能性を否定する(潰す)ことになるのではないか。

考え方が180°違うだけで得られる結果や自身の発揮できる力にも変化がある。

自ら視野を狭める、無意識に当たり前を普通として受け入れるのは少しもったいないと感じてしまいます。

こういう番組の視聴者は会社に骨を埋める覚悟をした人より変化を求める若い人たちが多いならば、今後、若い人たちがどのような選択をするのかとても興味があります。

変化を求める人たちが増えてきたらそれを受け入れる側も「我慢は美徳」とか「部下の手柄は上司のもの」のような謎の価値観を引き継がず現状に目を向けるべきなのではないでしょうか。

でないと大事な人材を失い、人材不足の方が今後、リスクになるのでは・・

あと、今までの当たり前に疑問を感じたら「訳の分からない当たり前を受け入れてなるものか!」という意思表示も必要ですよね。(会社だとなかなか難しいですが^^;)

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