老害とは”人の年齢”で判断するのではなく”その人の言動”で見極めるべきである

思考
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書店で老害に関する内容の小説を見かけました。

老害という単語、現代では当たり前のように日常でも使われていますね。

若者の人生の妨げとなる人々がいるのも事実。

その一方、言葉が広がりすぎたために老害と言われるのを恐れながら暮らす人もいるのではないでしょうか。

老害とは

老害と言われる人々

組織や社会で幅を利かせすぎて言動が疎まれる高齢者、あるいは、傍若無人な振る舞いによって若者に必要以上の負担や迷惑をかけている高齢者などを指す表現。

引用:weblio辞書

「なんか嫌だな・・」と思っていた人々を単語で簡潔に言い表せるようになるとは。

被害を受けても黙っていることしかできなかった頃と比べて、良い時代になったのかもしれません。

社会的悪を単語一言でまとめ、被害者(若者)と加害者(高齢者)の2種類で大まかに分類する。

非常に分かりやすい分類ではあるが、老害=高齢者(老人や会社の上司など)などという安易な分類は年齢差別にはならないだろうか。

将来は老害が増加する?

我々の未来に待っている高齢化社会。

老害(と言われる人々)=高齢者とするならば、対象者は増加する可能性が高い。

老害という言葉が日常で使われるのは世の中にその対象者がすでに多く存在し、そして苦しめられている人々も多いからなのでしょう。

日常で老害という言葉が主流になればメリットとして若者が受ける被害を事前に防ぐことができる。

デメリットとしてその単語が主流になればなるほど、老害と言われることを恐れ口を閉ざす人々もいるのではないでしょうか。

老害=高齢者という認識は正しいか

老害と言われる人々の行動

具体的に「若者に必要以上の負担や迷惑をかける高齢者」の例を考えてみると、政治・会社などで若者に席を譲らず居座り続け、さらに仕事をしない人々のことである。

さらにそれを日常生活に置き換えると、相手の意見を聞かず、一方的に自分の話をする意見を押し付ける)人々

年齢関係なく、こういう方って周りにいませんか?

自分を正当化するために自分の意見や過去の栄光などをひたすら話し続ける。

そのような行為は自己満であり、人間同士の関わりであるはずの会話、相手とキャッチボールのようなコミュニケーションを取る気がないのでしょう。

きっと年齢関係なく社会に居るのではないかと思います。

行動で判断する

年齢で一括りにせず、一人の人間として相手と関わったときに”自分がどう思うか?”で判断してみてはどうでしょうか。

老害リスクレベル
  • レベル3
    相手の意見に耳を貸さない
    常に自分の意見が正しく、”相手も同意見である”と思い込んでいる
  • レベル2
    人によっては話を聞く
    固定観念”今まではこうだった”と”時代に合わせて変化しなければという焦り”の間に挟まれている
  • レベル1
    会話のキャッチボールができる
    ”相手と自分は違う人間である”ため、相手に聞いてみなければ分からないという認識がある

国民の代表として発言すべき立場でありながら「女性は◯◯である」などと安易な発言してしまう某政治家の方々は(かなり)レベルが高いと考えられますが、””で考えると同じ年齢でも人によって違いがありますよね。

対処法を考えてみる

相手を変えることはできない

上記のレベル3に該当する自分が正しい、皆も同じ意見である(に違いない)と思っている人と関わるのはストレスが溜まるし対等な会話すらままならないこともある。

そして厄介なのが、退職後(現役中でも)自分の時間を持て余し、その時間を都合の良い誰かに埋めてもらおうとする人々がいること。

その対象者はそもそも相手の話を聞く気がなく、聞く必要がないと決め込んでいる可能性があるため(思考停止)、そういった方へは”適度に話をスルーする”、”距離を置く、関わらないようにする”などの対処法を見かけます。

相手の態度を変えることはできないので、それがこちらにとってリスクが少ない対処法なのだと思います。

相手を決めつけない

レベル3とは違い、レベル1、2のように会話できる可能性があるのであれば「自分はこう思う」、「あなたはどう思いますか?」と年齢で老害と決めつけず会話してみる。

相手は自分と違う人間である”という前提であるならば、会話(質問)して相手の口から直接意見を聞かないと相手のことは分からない。

そして、老害と言われたくない方もまずは自分の年齢を基準に”相手は若者、自分は老害になりうる”という年齢縛りを止める。

老害と言われることを恐れ、相手に気を使いすぎるのも本質的改善ではない。

相手も一人の人間”なのだから会話してみるのが良いのではないかと思います。

会話と言っても一方的にボールを投げ続けられても相手はボールを受けきれないでしょう。

適度に質問を投げかけ相手にもボールを投げさせる。それが本来の人間同士の付き合い方なのではないでしょうか。

老害という単語を意識し始めた方にはぜひPIXAR映画の「カーズ」を見ていただきたいです。

年齢とともに変化していくキャリアに迷いながらも自分の現実と向き合う姿。

自分の力量を見極め潔く決断できる大人は歳を重ねてもカッコイイと思いませんか?

まとめ

老害と言われる人々の行動が変わらない限りそれに悩まされる人々が減らない現実。

老害=高齢者、年齢だけで安易な分類をしてしまうと自分が歳を重ねたときに同じような存在になり、同じような扱いを受けてしまうかもしれません。

なぜ老害という言葉が必要になったのか、老害と呼ばれる人々のどのような言動が”害”となるのかを理解し、思考し続けることで自ら防ぐことができるのではないかと思います。

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